解答 行政書士試験 平成24年50問
一般知識
○:4.先進5カ国財務相・中央銀行総裁会議での協調介入に関するプラザ合意を受けて円高が加速し、輸出産業を中心に不況が一時深刻化した。しかし、その後には内需拡大に支えられた大型景気が訪れた。
○:4.先進5カ国財務相・中央銀行総裁会議での協調介入に関するプラザ合意を受けて円高が加速し、輸出産業を中心に不況が一時深刻化した。しかし、その後には内需拡大に支えられた大型景気が訪れた。
問50
近現代の日本の不況に関する次の記述のうち、妥当なものはどれか。
選択肢(解答ページでは、出題時の順番に戻ります)
☓:1.第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期にロンドンのシティで始まった世界恐慌のなかで、政府は旧平価での金輸出解禁を断行したところ、日本経済は金融恐慌と呼ばれる深刻な恐慌状態に陥った。
☓:2.第二次世界大戦後の激しいインフレに対して、徹底した引き締め政策を実行するシャウプ勧告が強行された。これによりインフレは収束したが、不況が深刻化した。しかし、その後のベトナム特需により、日本経済は息を吹き返した。
☓:3.第一次石油危機による原油価格の暴騰などにより、狂乱物価と呼ばれる激しいインフレが発生した。政府は円の切り下げのために変動為替相場制から固定為替相場制へ移行させ、輸出の拡大で不況を乗り切ることを目指した。
○:4.先進5カ国財務相・中央銀行総裁会議での協調介入に関するプラザ合意を受けて円高が加速し、輸出産業を中心に不況が一時深刻化した。しかし、その後には内需拡大に支えられた大型景気が訪れた。
☓:5.消費税が5%に引き上げられた後、その年の夏以降にはリーマン・ショックと呼ばれる世界経済危機が発生し、日本経済は深刻な不況となった。大手金融機関の経営破綻が生じ、公的資金投入による金融機関救済が進められた。
解説
1.妥当でない。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期にニューヨーク株式市場(ウォール街)で株価大暴落が発生し、アメリカ経済が大混乱に陥ったこと(暗黒の木曜日)が発端で世界恐慌が始まった。
また、世界恐慌の最中、政府は旧平価での金輸出解禁を断行したところ、日本経済は、昭和金融恐慌と呼ばれる深刻な恐慌状態に陥った。
したがって、「ロンドンのシティで始まった世界恐慌」としている点が誤りである。
2.妥当でない。
第二次世界大戦後の激しいインフレに対して、GHQが示した経済安定9原則及びその実施策であるドッジラインによって徹底した引き締め政策が実行された。
これによりインフレは収束したが、不況が深刻化した。
しかし、その後の朝鮮戦争による朝鮮特需により、日本経済は息を吹き返した。
したがって、「シャウプ勧告」「ベトナム特需」としている点が誤りである。
なお、シャウプ勧告は、戦後GHQの要請によって結成されたシャウプを団長とする日本税制使節団による税制改革に関する勧告である。
その内容としては「直接税中心主義」「地方税の充実」などであり、これに基づいて税制改革が行われた。
3.妥当でない。
昭和48年に第四次中東戦争に関連して産油国の大幅な価格引き上げが発端となって、狂乱物価と呼ばれる激しいインフレが発生した(第一次オイルショック)。
インフレを抑制するために公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資などを抑制する政策がとられ、また、固定相場制から変動相場制へ移行したことによる為替差損によって、戦後初めてのマイナス成長を経験し、高度経済成長の終焉を迎えた。
したがって、「変動為替相場制から固定為替相場制へ移行させ、」としている点が誤りである。
4.妥当である。
昭和60年に先進5カ国財務相・中央銀行総裁会議で、ドル高是正のために協調介入(ドル売り)を行う合意(プラザ合意)がされたことを受けて円高が加速し、輸出産業を中心に不況が一時深刻化した(円高不況)。
しかし、その後には内需拡大に支えられた大型景気が訪れた(バブル景気)。
5.妥当でない。
平成9年4月に橋本内閣によって「福祉を充実させる」という名目で消費税が5%に引き上げられた。
しかし、その年の夏以降にアジアにおける通貨・金融危機等によって、深刻な不況となり、日産生命、山一証券、北海道拓殖銀行等の名門金融機関が破綻し、公的資金投入による金融機関救済が進められた。
一方、世界的金融危機の発端とされるアメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻したのは(リーマンショック)、平成20年である。
したがって、消費税増税後に発生したのは、リーマンショックではなく、アジアにおける通貨・金融危機である。
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