解答 行政書士試験 平成25年59問
一般知識 文章理解
○:5.(ア)経験 (イ)表現 (ウ)普遍
○:5.(ア)経験 (イ)表現 (ウ)普遍
問59 本文中の空欄[ ア ]~[ ウ ]に入る言葉の組み合わせとして適当なものはどれか。
どのように技術は習得されるのであろうか。日本伝統芸能の演者の述懐には、彼らがどのように基本の動きや身のこなしを習得していったかがしばしば述べられている。たとえば歌舞伎役者の場合、基本的に代々の家系によって受け継がれ、幼いころからその特殊な環境に身を置きながら、伝統を体現していくことが求められていく。
いくら幼い子どもでも、彼らの周りがそうだから、芸事や稽古はみな日常的なものとなる。彼らは、幼い頃から何度も稽古を重ね、身体に身振りを染みこませ、身体に覚えさせるのだという。
このような[ ア ]に基づいて得られた身体的な知とは「暗黙知」とか「身体知」とよばれている。自転車に乗るように、スポーツをするように、なかなか言葉では言い表せないような体に染みついた知識となっている状態だ。一度獲得してしまうと、それが当たり前のような状態になる。(中略)
伝統的に歌舞伎の世界では、次世代に伝えるべきことを書いて残すことをしない。
彼らはあえて書かないのではなく、卓越者の演じ方や振る舞いについてはそもそも書けないのだという。やり方やきまりについては書こうと思えば書けるけれども、卓越者の[ イ ]に見られる彼らの気持ちの問題、感性の部分については書きようがない、というのだ。(中略)
ある歌舞伎役者は、基本的な動きや身のこなしができるようになってはじめて役になりきることができ、そのような基礎が身につかなければ芸の面白さが見る人たちに伝わらないのだとも述べている。書き記し、マニュアル化することができるものは、知識や理解の断片に過ぎない。もちろん、これらがきちんと習得されなければ、その先にある面白さを伝えることはできない。
そしてそれらの断片の全てがつながったとき、それ以上のものが発揮されるのだろう。全体は部分の総和ではない。これはゲシュタルト心理学の考え方に詰め込まれている。ゲシュタルトというのはドイツ語で(まとまった)形、形態を意味する言葉だ。まとまりの感じ方は、一つひとつの部分ではなく部分同士の関係による。全体は部分の総和以上のものである、という言葉は、心理学では使い古された言葉ではあるが、面白さや美しさといった芸術のメッセージの伝わり方が、個々の技術や表現の総和を超えたものであることに[ ウ ]性を与えてくれる。
(川畑秀明「脳は美をどう感じるか―アートの脳科学」より)
選択肢(解答ページでは、出題時の順番に戻ります)
☓:1.(ア)芸事 (イ)表現 (ウ)蓋然
☓:2.(ア)芸事 (イ)表情 (ウ)普遍
☓:3.(ア)家系 (イ)技術 (ウ)情緒
☓:4.(ア)経験 (イ)表情 (ウ)情緒
○:5.(ア)経験 (イ)表現 (ウ)普遍
解説
ア.経験。
アの前には「このような」となっているが、これは「彼らは、幼い頃から何度も稽古を重ね、身体に身振りを染みこませ、身体に覚えさせるのだという。」を指している。
つまり、何度も繰り返して覚えるものが、アが入ることになるので、少なくとも「家系」は入らない。
また、アの後には、「自転車に乗るように、スポーツをするように」とあるが、これらは「経験」によってするものであって、「家系」でするものではないし、「芸事」にもあたらない。
したがって、「経験」が適切である。
イ.表現。
「イ に見られる彼らの気持ちの問題、感性の部分については書きようがない、」というのは、「卓越者の演じ方や振る舞いについてはそもそも書けない」の言い直しである。
つまり、「卓越者の演じ方や振る舞い」を表す言葉が、イに入る。
そうすると「表情」「技術」のような狭めた言葉より、「表現」の方が適切である。
ウ.普遍。
選択肢にある「蓋然性」(あることが起きる確実性)は、明らかに文章が通らないが、情緒性(さまざまの微妙な感情やその感情を起こさせる特殊な雰囲気の性質)は、文章自体は成立する。
しかし、手前の文章では、「全体は部分の総和以上のものである」というのは、「心理学では使い古された言葉」(=色んな物事に通じる)とした上で、「個々の技術や表現の総和を超えた」としているため、「普遍性」(=すべての物事に通じる性質)がより適切である。
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