行政書士試験 平成18年58問
一般知識
問58 次のア~オの各文のうち、本文における筆者の考えと内容的に合致するものの組合せとして、妥当なものはどれか。
「そもそも、天下における議論は、是か非かの両極以外には出ない。一人が正しいと言えば一人が非とし、一人が間違いだと言えば一人が是とするような議論は、「異」と言い、「公」とは呼ばない。一人が正しいと言えば、みなが是とし、一人が間違いだと言えば、みなが非とするような議論は「同」と言い、「公」とは呼ばない。公論は、人心の自然なあり方から発するもので、そうならずにはいられない傾きがあるかのようである。だから、天子でも高官や士大夫から奪い取ることができず、高官や士大夫でも一般民衆〔愚夫愚婦〕から奪い取ることができない。」
これは、明末東林派の繆昌期のことばである。
「公論」ということばは、よく知られた「五箇条の誓文」にいう「万機公論に決すべし」からはじまって、近代日本のある時期までは一般に使われたことばであった。
「パブリック・オピニオン」の訳語としてまさにぴったりのこの「公論」の語が、何時からどういう経緯で、「輿論」ないし「世論」に取って代わられるようになったのかわたくしは知らない。しかし、「NHKの世論調査」などということばを聞くと、そもそも「パブリック・オピニオン」は数量化できるものなのか(数量化して誘導するなどは論外として)とわたくしはつねづね疑問におもっている。「公論調査」と置き換えてみれば、ことばの不自然さはだれにもあきらかだろう。「公論」は、冒頭に引いた繆昌期のことばにいうように、まさに「人心の自然なあり方から発するもので、そうならずにはいられない傾きがある」もの、すなわち単に数量の多寡ではなくて一定の規範的な意味をもつはずのものだからである。
「公論」ということばの衰退・廃絶というこの一事にも象徴されるように、日本人の「公」・「公共」感覚は、今日ある意味では大正デモクラシー時代より落ちているとわたくしはおもう。
(出典 坂部恵「『公論』ということばの衰退の中で」より)
ア、世間の考えが「同」であれば、世人の一致した考え方が示されているから、「公論」と考える根拠となる。
イ、「公論」とは、自然発生的に人々の間から生まれるものなので、為政者の考えや政治姿勢を統御する力がある。
ウ、数量化された世論調査というもので、社会の考え方の趨勢を理解しようとするのは、その社会の考え方を理解するには不十分である。
エ、社会において「公論」を問題にするのは例えば、この語に依らなければ、多数をしめる考えがわからないからである。
オ、「公論」は、その社会の人々の自ずからの考えが現れたものであり、政治の示している方向とは必ずしも一致しない。
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