行政書士試験 平成24年58問
一般知識 文章理解
問58 本文の後に続く文章を、ア~オの記述を並べ替えて作る場合、順序として適当なものはどれか。
どんな場合でも、根拠は多い方がいいのかというと、そうは問屋が卸さない。一つ一つの根拠が、独立して見れば正しくても、それらが併せあげられることで、根拠間で不両立が生じてしまうからである。(中略)
例えば、このような議論はどうだろうか。日本の商業捕鯨再開に反対する人が、その根拠としてあげたものである。
a「鯨は高度の知能をもった高等な哺乳類である」
b「欧米の動物愛護団体の反発を招き、大規模な日本製品の不買運動が展開される恐れがある」
レトリックでは、aの型の議論を「定義(類)からの議論」、bの型の議論を「因果関係からの議論」と呼ぶ。そして、同一の主題について、同一の論者が、同時にこの二つの議論型式を用いるとき、それはしばしばその論者の思想に不統一なものを感じさせる。
具体的に説明しよう。aの議論では、何よりも、鯨が人間に近い高等な生き物であるからこそ、捕鯨に反対する。つまり、鯨とはどのような生物かという性格づけをその根拠としている。この場合、捕鯨再開がもたらす結果は、考慮の埒外にある。それが外国の非難を浴びようが、あるいは歓迎されようが、そんなことは関係ない。鯨が高等生物であるがゆえに、食料にする目的で捕獲してはいけないと言っているのである。
これに対し、bの議論は、鯨のことなど問題にしてもいない。それはただ、商業捕鯨再開が招きかねない経済的制裁を憂慮しているにすぎない。だから、 もし捕鯨再開に対して何の反発も起きないのであれば、鯨などいくら獲ってもかまわないということになる。
このように、aの議論とbの議論の背後には、それぞれ独自の哲学・思想があり、それがお互いを否定し、また不必要なものとする。
(出典 香西秀信「論より詭弁 反論理的思考のすすめ」より)
ア 本質論に立つaからすれば、bのようなプラグマティックな考えはむしろ排斥しなければならないからだ。
イ したがって、説得力を増す目的で、 aの議論にbの議論を加えることは、かえってaの議論の真摯さに疑いをもたれる結果となろう。
ウ bの議論にとって、捕鯨が正しいかどうかということは何の関係もない。
エ これにaの議論が加われば、いかにも取って付けたような印象が残るだけである。
オ 逆に、bの議論にaの議論を付け加えたとき、それはまったく無関係な、不必要なことをしているのである。
この問題の成績
まだ、データがありません。