解答 行政書士試験 平成23年48問
一般知識
○:4.第二次世界大戦後の自治体は、住民から直接公選される首長・議会を有しているが、首長その他の執行機関が国の指揮監督のもとに国の機関として行う機関委任事務があった。しかし、機関委任事務制度は地方自治法の改正により廃止された。
○:4.第二次世界大戦後の自治体は、住民から直接公選される首長・議会を有しているが、首長その他の執行機関が国の指揮監督のもとに国の機関として行う機関委任事務があった。しかし、機関委任事務制度は地方自治法の改正により廃止された。
問48
日本の地方自治に関する次の記述のうち、妥当なものはどれか。
選択肢(解答ページでは、出題時の順番に戻ります)
☓:1.明治憲法のもとでは地方自治は認められておらず、市町村は国の行政区画であった。そのため、市町村長は、市町村会の推薦と府県知事の内奏をもとに、内務大臣によって任命されていた。
☓:2.全国的な規模で市町村合併が大幅に進められたのは、明治維新以降4回ある。それぞれの時期に合わせて、「明治の大合併」「大正の大合併」「昭和の大合併」「平成の大合併」と呼ばれることがある。
☓:3.第二次世界大戦中には、激しい空襲により市役所・町村役場は機能を喪失したため、市町村は廃止された。それに代わり、防空・配給や本土決戦のために、都市部には町内会、農村部には系統農会が組織された。
○:4.第二次世界大戦後の自治体は、住民から直接公選される首長・議会を有しているが、首長その他の執行機関が国の指揮監督のもとに国の機関として行う機関委任事務があった。しかし、機関委任事務制度は地方自治法の改正により廃止された。
☓:5.1990年代後半以降、市町村合併や公共事業などについて、住民が自ら投票によって意思を表明する住民投票が、条例に基づいて行われた。こうした流れを受けて、条例なしでも住民投票が行えるように、住民投票法が制定された。
解説
1.妥当でない。
明治憲法には地方自治に関する規定はなく、憲法上の保障はなかったが、一応は、法律によって一定の範囲は認められていた。
また、市町村長の選任方法は、明治憲法下では、市制・町村制と市と町村は別の制度であったため、市長と町村長の選任方法も別になっており、何度も変更(改正)がなされているが、日本国憲法制定前における市町村長の選任方法は、市長は市会の推薦を受けて内務大臣が任命、町村長は町村会において推薦し府県知事が任命していた。
2.妥当でない。
全国的な規模で市町村合併が大幅に進められたのは、明治維新以降3回あり、それぞれの時期に合わせて、「明治の大合併」(市町村数が約5分の1に減少)、「昭和の大合併」(市町村数が約3分の1に減少)、「平成の大合併」(市町村数が約2分の1に減少)と呼ばれることがある。
なお、大正時代にも群制が廃止されたのをきっかけに町村合併が増加した時期はあるが、数%減少した程度であるため、「大正の大合併」とは呼ばれていない。
3.妥当でない。
第二次世界大戦中に、市町村は廃止されてない。
もっとも、第二次世界大戦を含め戦時中は、国策遂行のための最末端組織として隣組が組織されており、これを大きな都市部では町内会、小さな市町村では部落会と呼んでいた。
なお、本肢に出てくる系統農会とは、1899年に農会法によって公認された農業団体であり(現在の農協のルーツの一つと言われている)、第二次世界大戦中に農業会に統合されている。
4.妥当である。
第二次世界大戦後の自治体は、住民から直接公選される首長・議会を有しているが、首長その他の執行機関が国の指揮監督のもとに国の機関として行う機関委任事務があった。
しかし、機関委任事務制度は、1999年制定の地方分権一括法に基づく分権改革の流れの中で、地方自治法の改正により廃止され、自治事務と法定受託事務に再編された。
5.妥当でない。
1996年8月に新潟県巻町に制定された原発設置に関する住民投票条例に基づき実施されたのを皮切りに、市町村合併や公共事業などについて、住民が自ら投票によって意思を表明する住民投票が、条例に基づいて行われた。
その後、個別政策を指定した住民投票条例から、常設型の住民投票条例が増加したという変化はしたが、住民投票法は制定されていない。
なお、合併特例法では、住民が直接請求をし、それを議会が否定した場合において、首長による投票に付する旨の請求があったときは、住民投票が行われることになっており、また、地方自治法における条例の制定・改廃の直接請求で、住民投票条例の制定を請求することもできる。
この問題の成績
まだ、データがありません。