解答 行政書士試験 平成23年58問
一般知識 文章理解
○:3.(Ⅰ)ウ (Ⅱ)ア
○:3.(Ⅰ)ウ (Ⅱ)ア
問58 次の枠内のIおよびIIの記述は、本文の空欄[ア]~[エ]のいずれかに当てはまる。その組合せとして適当なものはどれか。
次の枠内のIおよびIIの記述は、本文の空欄[ア]~[エ]のいずれかに当てはまる。その組合せとして適当なものはどれか。
I たしかに、われわれは、そういうけじめというか、ここまでだ、ここで終わる、ということをあらためて言うことによって次の場面に移っていく、という傾向があるようです。「二人以上の人間が、ある「こと」の場にいて、先行の「こと」につづいて、新しい「こと」をはじめようとする場合、日本人はどうしても「それでは」「では」という言葉によって先行の「こと」を終え、新しい「こと」に立ち向かうという姿勢を見せないことにはどうにも納まりが悪いところがある」(荒木同書)というわけです。
II あるいは電車のアナウンスや、車掌のふるまい。何時何分発の何々行きとアナウンスがあって、車掌の指差し確認があって、そのあと笛がピーッと鳴って電車がゆっくりと出て行く―。われわれには安全確認という名のもとの、まったく見慣れた光景ですが、これもかなり特殊なことのようです。
日本人の認識や行動のあり方を身近な言葉遺いの側面から分析した荒木博之さんの『やまとことばの人類学』は、以上のような「さらば」「さようなら」について次のように説明しています。
…日本語の別れの言葉である「さらば」も、いままでの「こと」が終わって、自分はこれから新しい「こと」に立ち向かうのだという心のかまえを示す特別ないい方であるといっていいのである。
日本人が古代から現代に至るまで、その別れに際して常に一貫して、「さらば」をはじめとする、「そうであるならば」という意のいい方を使ってきたのは、日本人がいかに古い「こと」から新しい「こと」に移ってゆく場合に、必ず一旦立ち止まり、古い「こと」と訣別しながら、新しい「こと」に立ち向かう強い傾向を保持してきたかの証拠である。
(中略)
この説明には、この世の出来事を一つ一つの「こと」の運なりとしてとらえるという日本人の人生や世界のとらえ方の、ある特徴が前提にされています‥・が、それは具体的には、こういう例で語られるようなことです。
たとえば、日本の小、中学校などでする、起立・礼・着席といったような礼節のあり方。これは外国にはあまり見られない、日本人の「こと」の対処の仕方であり、始まり・終わりを言葉に発してきちんと確認しながら、一つ一つの「こと」を進めていこうとする態度である、と。
[ア]
さらには、かけ声、囃(はや)し、呪言(じゅごん)などでも、われわれは、「ヤア」「ドッコイショ」「チョイト」「コリャコリャ」などと声を出して当面の事柄を進めて行くが、「囃し」とは「『生やし』『早し』などと同根であって、あるものの生成を促進せしめ、生成を促す力を与える」呪言でもあると同書では説明されています。「言語を発することによって、あるいは、言語の呪力に頼ることによって、ひとつひとつ処理していこうとする態度」ということでもあります。
[イ]
こうした荒木さんの指摘を受けて思い起こしたのですが、小林康夫とフランス・ドルヌの共著『日本語の森を歩いて』という本は、次のような面白いエピソードを伝えています。――著者のドルヌさんが初のて日本語で研究発表をしたとき、結論を述べて発表を終えたつもりが、聴衆からは何の反応もなかった、と。その原因は、「以上です」という言葉が最後になかったからなのだ、というわけです。
[ウ]
つまり、あらためて「さようであるならば」と、言葉に出して、その言葉の力もふくめて、先行の「こと」を確認し終えて、あたらしい「こと」に移行し始めようとするところに、「さようなら」が日本人の別れのあいさつになってきたということです。
[エ]
(出典 竹内整一「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」より)
選択肢(解答ページでは、出題時の順番に戻ります)
☓:1.(Ⅰ)イ (Ⅱ)ア
☓:2.(Ⅰ)イ (Ⅱ)ウ
○:3.(Ⅰ)ウ (Ⅱ)ア
☓:4.(Ⅰ)ウ (Ⅱ)イ
☓:5.(Ⅰ)エ (Ⅱ)イ
解説
Ⅰについて
Iの文章には、前半に「そういうけじめというか、ここまでだ、ここで終わる、という・・・」と指示語があるので、Ⅰの文章が入る直前の文章の後半にはこれに対応する言葉が書かれていると判断することができる。
そして、当該指示語は、ウの前の文章の「その原因は「以上です」という言葉が最後になかったから」が対応する。
また、内容面でも、ウの前の文章では「ドルヌさんが初のて日本語で研究発表をしたとき、・・・聴衆からは何も反応もなかった、と。その原因である「「以上です」という言葉が最後になかった」としているが、Iの文章では、それを詳細に説明する内容が書かれている。
したがって、Iの文章は、ウに入る。
なお、本問では、Iは「イ」に入ると考えた方が多かったようで、イの前に「荒木さん」が出てきていないのにイの後の冒頭には「こうした荒木さんの指摘」と書かれているので、それをIの文章の後半にある「(荒木同書)」に結び付けて考えたようである。
しかし、イの前の文章内に出てくる「同書」とは、冒頭にある荒木博之さんの『やまとことばの人類学』を指しており、それとイの後の「こうした荒木さんの指摘」は結びついているので、イの前後の繋がりにおかしな点はない。
また、イの前の文章で「同書」としているのに対し、Iの文章では「荒木同書」と表記を変えているのは、ウの前の文章で『日本語の森を歩いて』という書籍の話をしており、これと冒頭の書籍との混乱を避けるためのものであり、換言すれば、Iが入るのは新しい書籍の話の後のウorエになると判断することができる。
Ⅱについて
Ⅱの冒頭部分では「あるいは電車のアナウンスや、車掌のふるまい・・・」としているが、「あるいは」は、並列の接続詞であるから、「あるいは」の後に書かれている内容と並列する類似文章がⅡの直前に必ず書かれていると判断することができる。
そして、アの後の文章の冒頭「さらには、かけ声、囃し、呪言など・・・」を合わせると、「▲▲あるいは△△、さらには▲▼」という文法になるので、Ⅱはアに入ると判断することができる。
また、別の捉え方としては、Ⅱには「あるいは電車のアナウンスや、車掌のふるまい・・・」と具体例が書かれており、アの前の文章の「それは具体的には、こういう例で語られるようなことです。 たとえば、・・・」から具体例の列記が始まって、そこからアの後の文章でも「さらには、かけ声、囃し、呪言など・・・」と続いている。
このことからも、Ⅱの文章は、アに入ると判断することができる。
以上により、Ⅰはウに入り、Ⅱはアに入るため、3が正解になる。
この問題の成績
まだ、データがありません。